神懿王后 韓氏

王后(太祖第1夫人)

    神懿王后韓氏(シヌィ ワンフ ハン氏)
    本貫:安辺韓氏
☆生没年
    1337年〜1391年
☆在位期間
    ※追尊
☆宗室
【父】
安川府院君(アンチョン プウォングン)/景敏公(キョン ミンコン)/韓卿(ハンキョン)
【母】
三韓国大夫人朔寧申氏(サムハングク テプイン サキョン シン氏)
【夫】
太祖/李成桂
【王子】
鎮安君(チンアン グン)/李芳雨(イ バンウ)
定宗/永安君(ヨンアングン)/李芳果(イ バングァ)
益安君(イクァン グン)/李芳毅(イ バンウィ)
懐安君(フィアン グン)/李芳幹(イ バンガン)
太宗/靖安君(チョンアングン)/李芳遠(イ バンウォン)
徳安君(トクアングン)/李芳衍(イ バンヨン)
【王女】
慶慎公主(キョンシン コンジュ)
慶善公主(キョンソン コンジュ)
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    太祖の最初の夫人で正妃の、神懿王后韓氏の本貫は咸鏡道安辺で、贈領門下府事、韓卿の娘です。彼女は李成桂がまだ官位に就く前に永興から嫁入りし、李成桂が王に即位する1年前の1391年に54歳で世を去りました。韓氏との間には芳雨、芳果(定宗)、芳毅、芳幹、芳遠(太宗)、芳衍の六男と慶慎と慶善の二女がいます。
    朝鮮開国の翌日、韓氏の諡号を節妃(チョルビ)、陵号を斉陵(チェルン)と追尊し、1398年、定宗が即位した後には神懿王后と追尊されました。
    神懿王后の斉陵は現在、開城にあります。陵が開城に設けられたのは彼女が朝鮮開国以前に死去したためです。

神懿王后齋陵神道碑銘

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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