定安王后 金氏
★王后(定宗夫人)
定安王后金氏(チョンアン ワンフ キム氏)
本貫:慶州金氏
☆生没年
1355年〜1412年
☆在位期間
1398年〜1400年(2年2ヶ月)
☆宗室
【父】
金天瑞(キム チョンソ)
【母】
三韓国大夫人潭陽李氏(サマングク テプイン タムヤン イ氏)
【夫】
定宗/李芳果(イ バングァ)
【王子】
撫安君(ムアングン)/李芳蕃(イ バンボン)
宜安君(ウィアングン)/李芳碩(イ バンソク)
【王女】
慶順公主(キョンスン コンジュ)
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定安王后金氏は慶州金氏、金天瑞の娘です。1398年の〝第1次王子の乱〟で永安大君(定宗)が世子になると、徳嬪(トクビン)に封じられ、その年の9月に定宗が王位に就くとともに徳妃に冊封されました。1400年に定宗が太宗に譲位して上王となると、順徳王大妃の尊号を受けました。1412年、57歳で死去。
定宗に王座を降りるように勧めたのは定安王后金氏でした。金氏は定宗が王位をさらに長く維持していると、芳遠に殺されると考え、寝室で定宗に退位するよう勧め、定宗も彼女の考えと同じだったため、その勧めを受け入れて、すぐ翌日に王位から退きました。
定宗と定安王后は、床についてまでも殺害を心配しなければならないほど芳遠を恐れていました。これは実権のない王と王后の立場がいかに悲惨なものだったかを端的に見せてくれる例といえます。
陵墓は黄海北道開豊郡にある厚陵で、後に夫である定宗とともに葬られました。
厚陵
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