文定王后 尹氏

★王后(中宗第3夫人)

    文定王后尹氏(ムンジョン ワンフ ユン氏)
    本貫:坡平尹氏
☆生没年
    1501年〜1565年
☆在位期間
    1517年〜1544年
☆宗室
【父】
尹之任(ユン ジイム)
【母】
全城府夫人李氏(チャンソンブ プイン イ氏)
【夫】
【王子】
明宗/慶原大君(キョンウォン テグン)
【王女】
懿恵公主(ウィヘ コンジュ)
孝順公主(ヒョスン コンジュ)
敬顕公主(キョンヒョン コンジュ)
仁順公主(インスン コンジュ)
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    文定王后尹氏は領敦寧府事、尹之任の娘で、1501年に生まれました。本貫は坡平で、1517年に王后に冊封されました。1545年、息子の明宗が11歳で王位に就くと、8年間垂簾聴政を行いながら強大な権力を行使しました。尹氏は、弟の尹元衡(ユン ウォニョン)に政権を握らせて、仁宗の外戚一派を除去するために〝乙巳士禍(ウルサ サファ)〟を起こして尹任(ユン イム)を殺し、尹汝弼を配流としました。
    明宗に代わって摂政を執る際には、王権を掌握して王を傀儡とし、垂簾聴政から退いた後も、明宗の政治運営に干渉しすぎたため、朝廷を揺るがしました。尹氏のこうした執権欲は、結局、明宗時代の混乱に拍車をかける原因にもなりました。
    明宗は、尹氏のこうした執権に不満を抱いて、一時、乙巳士禍で死んだソンビたちの名誉回復を図り、新進士林を登用して、外戚勢力を牽制しようと試みたものの、彼女の妨害で失敗してしまいました。
    このように、朝廷を覇権争いの場へと追い込んだ悪女、文定王后は、1565年に64歳で死去しました。
    墓は泰陵。

泰陵

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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