仁顕王后 閔氏

★王后(粛宗第2夫人)

    仁顕王后閔氏(イニョン ワンフ ミン氏)
    本貫:驪興閔氏
☆生没年
    1667年〜1701年
☆在位期間
    1681年〜1689年
    1694年〜1701年 ※復位
☆宗室
【父】
閔維重(ミン ユジュン)
【母】
恩城府夫人恩津宋氏(オンソンブ プイン オンジン ソン氏)
【夫】
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    仁顕王后閔氏は驪陽府院君、閔維重の娘で、1681年に粛宗の継后となりました。礼儀正しく、徳があり、国母として民衆から仰がれたといわれています。しかし、子どもが生まれず、粛宗の寵愛を受けられなかったため、昭儀だった張氏が王子*を出産すると、苦しい立場に置かれることになります。
    1689年に〝己巳換局(キサ ファングク)〟が起こると、南人派が朝廷を牛耳り、閔氏は庶民に降格されます。しかし、1694年に少論派の廃妃復位運動で南人派が失脚する〝甲戌換局(カプスル ファングク)〟が起こると再び王后に戻りました。
    復位後、閔氏は禧嬪張氏との対立の最中、34歳で病で死去しました。墓は明陵。

明陵

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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