カン グソン 姜龜孫 강구손

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文臣

(男)" "

カン グソン

姜龜孫

강구손

1450-1505

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晉州" "

【父】姜希孟

【母】順興安氏

【配偶者】?(=の娘)

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 門蔭により軍器寺主簿となり、その後敦寧府僉正を経て、司宰監正となった。その後、左通禮・司憲府執義・永安道敬差官を経て尙州牧使になった。1492年には掌隷院判決事となり、翌年、副提学・吏曹参議を経て、承政院同副承旨に任命され、左承旨・道丞を経て、京畿道観察使に出た。戊午士禍が起こると、大司憲として推鞫に参加し、金馹孫など士林派の処罰を軽くするよう主張した。刑曹判書、翌年吏曹判書となり、晋原君に封じられ、兵曹判書在任中世子冊封奏聞使として明国に行き、その後左贊成に昇った。その後、右議政となり、再び明国に行く途中、平安道で病死した。彼はあらゆる学問に通暁し、職務に厳密で、燕山君の寵愛を受け、長い間吏曹判書に在職したが、これを妬む者から銓注が公正でなかったという評価を受けた。燕山君が次第に淫蕩で凶暴になると、廃立の意図を抱いていた。諡号は肅憲である。

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