カン ギュファン 姜奎煥 강규환

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文臣

(男)" "

カン ギュファン

姜奎煥

강규환

1697-1731

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晉州" "

【父】?

【母】?

【配偶者】?(=の娘)

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朝鮮後期の景宗から英宗の時代に活動した老論・保論系の学者であり、嶺南按撫使を兼任した安東府使や章陵参奉などを務めた文官である。慶尚南道安東藩の従事官や章陵参奉を務めた。19歳で外叔父である韓元震に『中庸』『大学』『太極図説』などを学び、1716年には李縡、1720年には権尙夏に学び、理気説を学んで学問を深めた。1723年に景宗3年の增廣生員試験に合格し、1724年には「擬上時務封事」を出した。1728年に李仁佐の乱が発生した際、嶺南按撫使である朴師洙の推薦を受けて従事官として出征し、反乱軍の鎮圧に参加した。このとき、兵学に基づいて陣法の訓練や進撃と防御策を整備することに貢献した。1729年に章陵参奉に任命され、1731年には従事官時代に得た病気が悪化し、35歳で亡くなった。学問と著述に関しては、師である韓元震とともに『経義記聞録』を編集する過程で宋時烈、権尙夏、韓元震に連なる老論・保論系の学問を学んだ。彼は朱子道統主義を基盤に李滉を否定的に評価し、異端を批判し学問の正統性を確保することに力を注いだ。また、保守的な経世論の立場から不要な支出や官職を削減し、残った経費を軍布に充てる方法で良役の弊害を解決するなど、穏健な改革案を提案した。詩文集として12巻6冊の『賁需齋集』が伝わっている。"

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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