カン ナニョン 姜蘭馨 강난형

 " (男)" " カン ナニョン 姜蘭馨 강난형 ?-? " " 晉州" " 【父】姜魯永 【母】? 【配偶者】?(=の娘) " "  朝鮮後期の刑曹判書、漢城府判尹、黄海道觀察使などを務めた文臣。1848年に増広文科に並科で及第した。哲宗期に入って弘文館副敎理・副修撰を経て、1860年に司諫院大司諫になった。しかし、翌1861年には倭譯官として在職中に私書を登伝した容疑を受け、罷免され、聞慶に流配された。その後、高宗朝に入り再び起用され、左副承旨・成均館大司成・吏曹参議・司憲府大司憲などを歴任した後、1873年に刑曹判書に昇進し、1875年には清国の穆宗が亡くなった際に陳慰兼進香正使となり、清国を訪れた。一方、1872年に上試官(試験監督官)を務めていた時、当年の科挙試験場の規律が緩んで社会的な問題が起こったことで弾劾を受けたこともあった。また、1876年に司憲府大司憲としていた時に、言辞を軽率にして体裁を失った罪で罷免されたこともあったが、すぐに漢城府判尹として再起用された。その後、1879年には黄海道觀察使となった。 "

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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