カン デジョク 姜大適 강대적

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カン デジョク

姜大適

강대적

1594-1678

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晉州" "

【父】姜翼文

【母】李氏

【配偶者】迎日鄭氏(=鄭思恕の娘)

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優れた学問と孝行で広く知られている。司馬試験に合格したが、癸丑獄事事件の後、父と兄が流刑にされ、官職に就くことはできなかった。その後、故郷で隠居しながら学問と後進の育成に専念した。丙子胡乱の時には義兵を起こした。1612年に司馬試験に合格したが、翌年に癸丑獄事が発生し、その余波で永昌大君が暗殺される事件が起こり、官職に就くことはできなかった。当時、桐渓の鄭蘊が上訴して永昌大君に対する処置が誤っているとして上訴したが、死罪とされたため、兄の姜大遂が鄭蘊を支持し流刑となった。同じ時期に父の姜翼文も流刑となったため、故郷の陜川で隠居しながら学問に励み、後進の育成に力を注いだ。何度か洗馬、参奉、察訪などに任命されたが官職には就かず、丙子胡乱の時に義兵を起こした。1637年には、忠と孝を兼ね備えているとして同副承旨を授与され、1647年には繕工監直長になった。同年7月には掌楽院直長へ異動したが、父の病が悪化したため、故郷に戻った。1673年、80歳の時に通政大夫に封じられた。また、厳格な学者として名高く、老いてもかえって新しいという「自新箴」を作り、これを学問の基調とした。著述としては、文集『鷗洲集』がある。"

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