純明孝皇后 閔氏

★皇后(純宗夫人)

    純明孝皇后閔氏(スンミョンヒョ ファンフ ミン氏)
    本貫:驪興閔氏
☆生没年
    1872年〜1904年
☆在位期間
    ※純宗即位前に死去したため追尊
☆宗室
【父】
閔台鎬(ミン デホ)
【母】
鎭陽府夫人鎭川宋氏(チンヤンブ プイン チンチャン ソン氏)
【夫】
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    純明孝皇后閔氏は、驪恩府院君、閔台鎬の娘で、1882年に10歳で、2歳年下の世子(後の純宗)と婚礼を挙げ、世子嬪になりました。1897年に大韓帝国が成立し、世子が皇太子となったため、閔氏は皇太子妃となりました。
    1904年、32歳で病死。墓は裕陵から移送され、純宗と合葬されています。死後、純宗が皇帝に即位すると皇后に追封されました。

裕陵

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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