純貞孝皇后 尹氏

★皇后(純宗第2夫人)

    純貞孝皇后尹氏(スンチョンヒョ ファンフ ユン氏)
    本貫:海平尹氏
☆生没年
    1894年〜1966年
☆在位期間
    1907年〜1910年
☆宗室
【父】
尹沢栄(ユン テギョン)
【母】
慶興府夫人杞溪俞氏(キョンフンブ プイン ギゲ ユ氏)
【夫】
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    純貞孝皇后尹氏は、海豊府院君、尹沢栄の娘で、純宗の第1夫人、純明孝皇后閔氏が死去すると、1906年に皇太子后に冊封され、宮中に入りました。1907年、純宗が皇位に就くとともに皇后になりました。
    1910年、日本に国権が強奪される際に、屏風の後ろで御前会議を立ち聞きし、親日派が純宗に合併条約の合意捺印を迫ると、それを阻止しようとチマの中に玉璽を隠して渡さなかったということもありました。
    亡国後、日帝の侵奪行為を経験し、解放と朝鮮戦争を経て、晩年には仏教に帰依しました。1966年に72歳で死去。墓は裕陵。

尹妃

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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