Q.イ・サンの父はなぜ殺されたのですか?

A.イ・サン(正祖)の父、荘献世子は英祖と映嬪李氏の子で2歳のとき王世子になりました。この時、朝廷は老論派と少論派の派閥に分かれており、世子には少論派がついていました。これが気に入らなかった老論派は英祖の王后、貞純王后を中心に世子を陥れようと企て、英祖に讒言しました。また、当時の東宮殿(世子の居所)の内人(女官)が先代の王、景宗の内人だったことも英祖の不信感を一層買うことになります。たとえ女官といえど、先代の王の女官となればぞんざいな扱いはできなかったのです。こうして親子関係は冷え切ってしまいました。結局、1762年に羅景彦が英祖に上奏すると、世子は米びつの中に閉じ込められ8日後に亡くなりました。壬午士禍と呼ばれるこの事件を悔やんだ英祖はのちに世子に思悼世子と贈りました。

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