貞熹王后 尹氏

★王后(世祖夫人)

    貞熹王后尹氏(チョンヒ ワンフ ユン氏)
    本貫:坡山尹氏
☆生没年
    1418年〜1483年
☆在位期間
    1455年〜1468年
☆宗室
【父】
尹璠(ユン ボン)
【母】
興寧府大夫人仁川李氏(フンヨンブ テプイン インチョン イ氏)
【夫】
世祖/首陽大君(スヤン テグン)
【王子】
徳宗/懿敬世子(ウィギョン セジャ)/桃源君(トウォン グン)
睿宗/海陽大君(ヘヤン テグン)
【王女】
懿淑公主(ウィスク コンジュ)
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    貞熹王后尹氏は判中枢府事、尹璠の娘で、本貫は京畿道坡平。1418年に忠清南道で生まれ、1428年に世祖に嫁ぐと、楽浪府大夫人(ナンナンブ テプイン)に封じられました。1455年、世祖が王位に就くとともに王后に冊封されました。
    貞熹王后は〝癸酉靖難〟が起こった際、情報漏洩で首陽大君が実行をためらうと、自ら鎧を着せて兵を挙げさせるほど決断力に富んでいました。また、1468年に次男の睿宗が18歳で王位に就くと、朝鮮王朝初の垂簾聴政を行い、睿宗が在位1年2ヶ月で死去すると、夭逝した長男、懿敬世子の息子、乽山君(チャルサングン)=成宗をその日に即位させ、摂政を行いました。
    睿宗が死去した際、継后、安順王后から生まれた斉安大君(チェアン テグン)がいましたが、まだ幼いという理由で王位を継がせませんでした。懿敬世子の長男、月山大君もいましたが病弱を理由に、貞熹王后は結局、乽山君を即位させました。
    貞熹王后は12歳で王位に就いた成宗に代わって政治を執った7年間、決断力ある性格を発揮して王権を安定させました。そして成宗が成人すると摂政を終え、政治の第一線から退きました。
    このように果敢な性格で朝廷を安定させた貞熹王后は、1483年に65歳で死去しました。墓は光陵で世祖の陵の東側に位置します。

光陵

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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