貞純王后 金氏

★王后(英祖第2夫人)

    貞純王后金氏(チョンスン ワンフ キム氏)
    本貫:慶州金氏
☆生没年
    1745年〜1805年
☆在位期間
    1759年〜1776年
☆宗室
【父】
金漢耈(キム ハング)
【母】
原豊府夫人原州元氏(ウォンプンブ プイン ウォンジュ ウォン氏)
【夫】
英祖/延礽君(ヨニン グン)
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    貞純王后金氏は鰲興府院君、金漢耈の娘で、貞聖王后の死後、1759年にわずか14歳で王后に冊封され、65歳の英祖に嫁ぎました。金氏に子はなく、映嬪の生んだ荘献世子を嫌っていたため、世子の非行を王に告発し、英祖の世子への怒りを増幅させました。羅景彦の上疏事件が起こると、世子はついに死に至らされました。
    その後、朝廷が世子の死に同情を示す時派と、世子の罪を当然視していた僻派とに分裂すると、僻派を擁護しました。
    正祖の死後、純祖が10歳で即位すると垂簾聴政を行いましたが、この時、僻派の功西派と結託して、時派の信西派大臣たちを陥れ、カトリック教に対して大禁止令を下しました。
    この過程で、李家煥(イ ガファン)などカトリック教信仰の先駆者たちが獄事に巻き込まれ、丁若鍾(チョン ヤクチョン)などが処刑され、丁若銓(チョン ヤクチョン)、丁若鏞(チョン ヤギョン)兄弟は配流となりました。そして、宗親の恩彦君(ウノングン)と彼の妻などにも賜薬を下しました。
    金氏はこのように政界の中心で党派と密接に関わり合いながら、1805年に60歳で生涯を終えました。墓は元陵。

元陵

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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