義安大君/李和(イ ファ)

★王族(高麗)

    義安大君(ウィアン テグン)/李和
☆概要
    太祖の庶弟
☆生没年
    1348年〜1408年
☆親族
【父】
  • 桓祖/李子春(イ ジャチュン)
【母】
  • 定嬪金氏(チョンビン キム氏)
【妻】
  • 三韓國大夫人順興安氏(サマングク テプイン スヌン アン氏)
  • 三韓國大夫人交河盧氏(サマングク テプイン キョハ ノ氏)
【子】
  • 李之崇(イ ジスン)
  • 完川君(ワンチョングン)/李淑(イ スク)
  • 李澄(イ ジン)
  • 李湛(イ ダム)
  • 李皎(イ ギョ)
  • 李淮(イ フェ)
  • 李漸(イ ジョム)
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    義安大君は太祖の腹違いの弟で、恭愍王の時代に高麗の武官になりました。腹違いの甥である李芳遠(イ バンウォン)が圃隠(ポウン)=鄭夢周(チョン モンジュ)を殺した際に芳遠を援助し、開国功臣となりました。太宗が、李成桂の直系以外の王族は王位継承権を持たない代わりに官職に就くことができるようにしたため、議政府賛成を経て領議政府事に就きました。死後は太祖の祠堂に祀られました。

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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