永城大君/李天桂(イ チョンゲ)

★王族(高麗)

    永城大君(ヨンソン テグン)/李天桂
☆概要
    太祖の庶兄
☆生没年
    1333年〜1392年
☆親族
【父】
桓祖/李子春(イ ジャチュン)
【母】
韓山李氏(ハンザン イ氏)
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    永城大君は太祖の腹違いの兄で、太祖即位後に完城君に封じられました。実父は桓祖ですが、後に完昌大君が養父になりました。完昌大君には息子がいましたが夭逝していました。
    高麗末期には武将として枢密に任命されたほか、圃隠(ポウン)=鄭夢周(チョン モンジュ)や吉再(キル ジェ)らと指教していたといわれています。心の中では太祖に反感を抱いており、朝鮮建国初期には反乱を企て鎮圧されましたが、太祖はこれを黙認したということもありました。
    しかし、1392年に官僚の妻を撲殺して投獄されると、大臣たちの反発もあり、太祖の救命努力も及ばず、獄中で死去しました。
    死後、太祖は議政府の左賛成を追贈しました。1871年には高宗が永城大君に追封しました。

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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