完豊大君/李元桂(イ ウォンゲ)

★王族(太祖治世)

    完豊大君(ワンプン テグン)/李元桂
☆概要
    太祖の庶兄
☆生没年
    1330年〜1388年
☆親族
【父】
  • 桓祖/李子春(イ ジャチュン)
【母】
  • 韓山李氏(ハンザン イ氏)
【子】
  • 李良祐(イ ヤンウ)
  • 李天祐(イ チョンウ)
  • 李朝(イ ジョ)
  • 李伯温(イ ベクォン)
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    完豊大君は桓祖の長男で、母は韓山李氏。高麗時代後期の武臣として2回にわたった紅巾賊の侵入を撃退して、功績を立てて2等功臣になりました。とくに紅巾賊の2次侵入の際、趙天柱(チョ チョンジュ)などとともに敵軍を撃退し、開京を修復するために貢献しました。
    その後、李成桂の倭寇撃退を支援し、その功で完山君に封じられました。1388年の遼東征伐に参加し、その5ヶ月後に死去しました。朝鮮開国後には開国功臣に選ばれ、後の高宗治世、1872年に完豊大君に冊封されました。
    墓は定陵の横にあり、1909年に璿源祠と1901年に三義祠に祀られました。

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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