定順王后 宋氏
★王后(端宗夫人)
定順王后宋氏(チョンスン ワンフ ソン氏)
本貫:礪山宋氏
☆生没年
1440年〜1521年
☆在位期間
1454年〜1455年
☆宗室
【父】
宋玹寿(ソン ヒョンス)
【母】
驪興府大夫人驪興閔氏(リョフンブ テプイン リョフン ミン氏)
【夫】
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定順王后宋氏は1440年、宋玹寿の娘で、1454年、端宗の王妃に冊封されました。1455年、世祖が王位に就き、端宗が上王になると、同年7月、懿徳大妃(ウィドク テビ)に冊封されました。
1457年、死六臣が端宗の復位を計画しましたが失敗して、端宗が魯山君(ノサングン)に降格されると、同年6月、宋氏も夫人に降格されました。
子が無く、端宗の死後、子女がいない後宮女性のうち出家した者が入った尼寺で暮らしました。
【 永渡橋の逸話 】
清渓川にある永渡(ヨンド)橋は、寧越に流刑になって行く端宗と定順王后が別れた橋で、流刑に処された端宗は、そのまま寧越で賜死したため、「永久に渡った橋」という意味で〝永渡橋〟と付けられたといわれています。
また定順王后は、端宗の流刑地である寧越の方向に毎日欠かさず冥福を祈りました。その姿を見た多くの民が宋氏を援助しました。
宋氏は81歳で、浄業院で亡くなりました。死後、粛宗によって復位されたのち、英祖によって追尊されました。
思陵
永渡橋
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