鎮安大君/李芳雨(イ バンウ)

★王族(太祖治世)

    鎮安大君(チナン テグン)/李芳雨
☆概要
    太祖の長男
☆生没年
    1354年〜1394年
☆親族
【父】
  • 太祖/李成桂(イ ソンゲ)
【母】
【妻】
  • 三韓國大夫人元配池氏(サマングク テプイン ウォンペ チ氏)
【兄弟】
  • 定宗/永安大君(ヨンアン テグン)/李芳果(イ バングァ)
  • 益安大君(イクァン テグン)/李芳毅(イ バンウィ)
  • 懐安大君(フェアン テグン)/李芳幹(イ バンガン)
  • 太宗/靖安大君(チョンアン テグン)/李芳遠(イ バンウォン)
  • 徳安大君(トグァン テグン)/李芳衍(イ バンヨン)
  • 撫安大君(ムアン テグン)/李芳蕃(イ バンボン)
  • 宜安大君(ウィアン テグン)/李芳碩(イ バンソク)
【子】
  • 奉寧君(ボンニョングン)/李福根(イ ボッグン)
  • 李德根(イ ドックン)
  • 永同県主(ヨントン ヒョンジュ)
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    芳雨は1354年、太祖と神懿王后韓氏の長男として生まれ、賛成事、池奫(チ ユン)の娘と結婚しました。早くに官職に就き、礼儀判書を務めました。昌王の即位の年の1388年には密直副使として密直使の姜淮伯(カン フェペク)とともに明に派遣され、昌王の親書を伝えましたが、志を遂げられずに帰還しました。
    朝鮮が開国されるとすぐ、鎮安君に冊封され、咸鏡道高原の田地を禄科田として与えられました。しかし、持病で翌年、39歳で死去。芳雨が死去したことで、その後、後継争いが朝廷を渦巻くことになりました。

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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