懐安大君/李芳幹(イ バンガン)
★王族(太祖治世)
懐安大君(フェアン テグン)/李芳幹
☆概要
太祖の四男
☆生没年
1364年〜1421年
☆親族
【父】
- 太祖/李成桂(イ ソンゲ)
【母】
- 神懿王后韓氏(シヌィ ワンフ ハン氏)
【兄弟】
- 鎮安大君(チナン テグン)/李芳雨(イ バンウ)
- 定宗/永安大君(ヨンアン テグン)/李芳果(イ バングァ)
- 益安大君(イクァン テグン)/李芳毅(イ バンウィ)
- 太宗/靖安大君(チョンアン テグン)/李芳遠(イ バンウォン)
- 徳安大君(トクアン テグン)/李芳衍(イ バンヨン)
- 撫安大君(ムアン テグン)/李芳蕃(イ バンボン)
- 宜安大君(ウィアン テグン)/李芳碩(イ バンソク
【妻】
- 三韓國大夫人元配閔氏(サマングク テプイン ウォンべ ミン氏)
【子】
- 義寧君(ウィニョングン)/李孟宗(イ メンジョン)
- 誠惠翁主(ソンへ オンジュ)
- 翁主
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芳幹は太祖と神懿王后韓氏の四男として生まれ、門下賛成事、閔璿(ミン ソン)の娘と結婚しました。
朝鮮開国後、懐安君に封じられ、“第1次王子の乱”の際、鄭道伝(チョン ドジョン)一派を除去した功で懐安公となりました。また、定宗が即位すると、黄海道西北面の軍を担当し、1400年、朴苞(パク ホ)とともに“第2次王子の乱”を起こして芳遠と対立しました。芳遠の軍に敗れると生け捕りにされ、残りの生涯は配流地を転々としました。
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