益安大君/李芳毅(イ バンウィ)

★王族(太祖治世)

    益安大君(イクァン テグン)/李芳毅
☆概要
    太祖の三男
☆生没年
    〜1404年
☆親族
【父】
  • 太祖/李成桂(イ ソンゲ)
【母】
【兄弟】
  • 鎮安大君(チナン テグン)/李芳雨(イ バンウ)
  • 定宗/永安大君(ヨンアン テグン)/李芳果(イ バングァ)
  • 懐安大君(フェアン テグン)/李芳幹(イ バンガン)
  • 太宗/靖安大君(チョンアン テグン)/李芳遠(イ バンウォン)
  • 徳安大君(トクアン テグン)/李芳衍(イ バンヨン)
  • 撫安大君(ムアン テグン)/李芳蕃(イ バンボン)
  • 宜安大君(ウィアン テグン)/李芳碩(イ バンソク
【妻】
  • 三韓國大夫人元配崔氏(サマングク テプイン ウォンべ チェ氏)
【子】
  • 益平君(イクピョングン)/李石根(イ ソッグン)
  • 李昇(イ スン)
  • 懐仁県主(フェイン ヒョンジュ)
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    芳毅は太祖と神懿王后韓氏の三男として生まれました。朝鮮が開国すると、益安君に封じられます。1398年の“第1次王子の乱”に加担して芳遠を補佐すると定社功臣一等となりました。
    定宗即位後、宗親(王の親戚)と勲臣たちが群を分けて担当する際、芳毅は京畿道と忠清道を任されました。そして1400年、弟の芳幹が“第2次王子の乱”を起こすと、これを嘆き、官職を辞して芳遠を支援しました。
    太宗が即位すると益安大君に封じられ、1404年に病気のため死去しました。

たいしょーの朝鮮王朝史

朝鮮王朝518年の歴史をここに。

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