純元王后 金氏
★王后(純祖夫人)
純元王后金氏(スヌォン ワンフ キム氏)
本貫:安東金氏
☆生没年
1789年〜1857年
☆在位期間
1802年〜1834年
☆宗室
【父】
金祖淳(キム ジョスン)
【母】
青陽府夫人青松沈氏(チョンヤンブ プイン チョンソン シム氏)
【夫】
【王子】
孝明世子(ヒョミョン セジャ)
【王女】
明温公主(ミョンヌォン コンジュ)
福温公主(プクォン コンジュ)
徳温公主(トクォン コンジュ)
永温翁主(ヨニョン コンジュ)
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純元王后金氏は、永安府院君、金祖淳の娘で、金氏は父からその弟、金左根(キム ジャグン)へと継がれる安東金氏一門の執権に大きく貢献しました。
一時、世子嬪の外戚、豊壌趙氏一門に政権の主導権を奪われましたが、憲宗時代に復権しました。ところが、憲宗が夭逝すると、子孫のない憲宗の後を誰が継ぐかという問題が生じます。この時、金氏は趙大妃一門が手を回す前に、すばやく院相に権敦仁(クォン ドニン)を指名し、荘献世子の曾孫である元範(ウォンボム)=哲宗に王位を継がせました。また、自分の外戚の金文根(キム ムングン)の娘を王后*に冊封することで、安東金氏の勢道政権が絶頂期を迎えることになりました。
1857年に死去。墓は仁陵。
仁陵
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